残り時間
世の中にはいろんな人がいるようで
友人のシューは
自分の生の残り時間がわかるそうです。
他の人の事も読めて
彼女の母親は 第一寿命があったのですが
彼女の人助けの仕事があまりにも忙しそうなので
それを手伝うために 第二寿命まで伸ばした
というようなことを言っていました。
彼女の 朝一番の祈りは
「今日も一日 この世に生まれてまいりました。
使命・天命を全うすることができますように
お力添え お導きを お願い申し上げます」
だそうです。
日々エネルギッシュに活動している人ですが
彼女にとっては 一日一日が
一生分なのかもしれません。
謙虚に学ぶ
何をしに行くのだその場所へ
空っぽの頭と
謙虚さを携えていけ
それでなくては学べない
疑ってかかると
入ってこないことに気づきました。
疑いと 探究心は
似て非なるもの なんですね。
役立たずの役立ち
ものぐさタローは なんとな~く
携帯屋さんで バイトをしています。
キャリアウーマンの ヤルコは
そんなタローを うとましく思っていました。
『だいたい 若いクセに
やる気ってものがないのよね。
もっと シャンとしたらどうなのよ。
バリバリ仕事しようって思わないのかね~。
こっちまで だらけてしまうよ。
あんたみたいのを 役立たずっていうのよね。
早いとこ 首になっちゃえばいいのに・・・』
ところが たま~に タロー担当の携帯が
売れるものですから そうもいきません。
そのことも ヤルコは不思議でした。
あいつから買う人がいるなんて
―― 説明だって うまくないのに!
ある日 他の携帯業者が
新しい企画をどんどん打ち出し
急激に店の売り上げが減ってきました。
今まで ヤルコを褒めちぎっていた店長は
一個も売れなくなった彼女に
辛く当たるようになりました。
そんな中でも タローの携帯は
ごくごく たま~に 売れるのです。
疲れ切った ヤルコは
相変わらずマイペースのタローを見て
初めて『いいな~』と思いました。
そして タローに言ったのです。
「今の私なら あなたから 携帯を買うわ」
おちゃらか おちゃらか おちゃらかほい♪
ひ~とは それぞれ の・ほい ♪
意識を上げて
欲も
怒りも
恐れも
悲しみさえも
エネルギー
地に引きずり込む力にもなれば
天かける力にもなる
上げよ上げよ 意識を上げよ
湧きたつ思いを昇華せよ
「思考を恐れる必要はない」と
ふと思ったことを書いたら
きょうこさんのブログでも 取り上げていました。
そうそう 「かまわずにいる」というよりは
せっかく わたしに語りかけてくれたのだから
とりあえず うん うんと頷いて
「心配してくれてありがとう」とかって
受け止めてから
あるいは 自分をぎゅっと抱きしめて
(これは とてもいいことだと
90歳のおばあに教わりました)から
流してやっても 遅くはないですね。
基本的に 存在は
わたしたちの面倒を見る気があるんだと
わたしは信じていますから
その存在が 思考も 我が子のように
よしよしして
解き放ってくれるような気がします。
一瞬ごとに 過去を 捨て去り
一瞬ごとに 過去を 捨て去り
今 できる事 精一杯 楽しく やっていこう
いつも 初心 いつも 新しい自分
細胞は 刻々と 入れ替わっているのだもの
昨日の 自分は もう いないんだよ
今朝 散歩をしていて ふと
思考を恐がらなくてもいいんだ と思いました。
「思考が現実になる」とか
「あなたの思考が今のあなたを造った」
とか言われると ましてや
「病気はあなたのマイナス思考のせい」
などと決めつけられると
たまったもんじゃありません。
思考は たんに 思考です。
雲のようなものだと思います。
たとえ どんな ひどい思いを抱こうと
それはそれで かまわないでいると
そのうち 流れて行ってしまいます。
「完璧さ」より良いもの
生きていると、いろいろな人に、
いろいろなことに、教えられます。
たとえば、デヴィッドがそうでした。
かれは画家で、わたしの最初の恋人でした。
性格が正反対の者同士が惹かれあうというのは、
ほんとうです。
あるとき、
わたしの運転免許証の更新の時期がきて、
筆記試験を受けることになりました。
陸運局から教科書がとどきました。
何日も勉強しました。
道路の縁石が白く塗ってある場合と、
黄色い場合のちがいを暗記していると、
デヴィッドは散歩に行かないか、
ディナーは、ダンスは?
お喋りするだけでもいいや、と誘いました。
そんな暇はないのよ、とわたしは答えました。
試験はもちろん百点でした。
得意になって、
わたしはかれのアトリエに駆け込み、
百点とったわよ、と告げました。
描きかけの絵から顔をあげて、
とてもやさしい表情で、
「きみねえ」とかれはいいました。
「百点をとることが、なぜすばらしいんだい?」
それはわたしが期待していた反応ではなかった。
そこでわたしにはわかったのです。
ただパスすればいいだけの試験で
百点をとろうとして、
どれほど多くのことを犠牲にしてしまったか。
もっと賢くつかうことのできた何日も、
勉強に費やしてしまった。
知りたくもないことまで暗記して。
それが唯一の方法だと思いこんでいたからです。
百点をとらなければ
父に満足してもらえないのなら、
わたしも自分に満足できないのでした。
たかが運転免許証をとるための、
筆記試験のために。
依存症患者の多くがそうであるように、
わたしも抑制がきかなくなっていたのです。
あきらかに、問題は
運転免許証そのものではありませんでした。
点数が問題だったわけでもないのです。
わたしがだれかの「愛」にあたいするかどうか、
それが問題だったのです。
デヴィッドがそんなゲームのしかたを
知らなかったことは幸いでした。
かれはそんなゲームが
この世にあることすら知らない人でした。
レイチェル・ナオミ・リーメン著
「失われた物語を求めて」より
レイチェルは1938年
ニューヨーク生まれの医学博士です。
15歳のときクローン病を患い
厳しい闘病生活を送りつつも
癌患者・癌専門医のセラピストとして
先駆的な道を切り拓いてきました。
心と体の深いつながりや
奇跡のちりばめられた 彼女の本が
あまりにも素晴らしいので
沢山の人に勧め プレゼントしては
また買って 今 手元に一冊のみ残っています。