歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

ばあちゃんのこと

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私は 時々 ばあちゃんちに 泊まりに行きました。

ばあちゃんは いつも変わらず早く起きて 

仏壇に手を合わせ、 それから 朝ご飯の支度やら 

掃除やらを テキパキやります。

「独り暮らしなんだから、 

   もっと のんびりしたらいいのに」と私が言うと 

教頭先生をしていた じいちゃんが 

いつも シャンとしていたので、 

今さら だらしなくできないよ という返事でした。

 

私が 帰る時には きまって 

ティッシュにくるんだ あめ玉を くれます。

 

ある日、 ばあちゃんの住んでいる場所が 

土地開発で 立ち退き指定になり、 また、 

体の具合も少々悪いということで、 ばあちゃんは 

私と母の住む家で 一緒に暮らすことになりました。

 

たいして 広くもない家でしたから、 

母は さっさと片づけてしまいます。

ばあちゃんは 突然 することが無くなって、 

それまで ろくに観もしなかった 

テレビの前に 一日中いなければなりませんでした。

 

最初は 気を遣って 相手をしていた私も 

だんだんめんどくさくなって、学校から帰ると 

自分の部屋に こもることが多くなっていたからです。

 

そのうち、ばあちゃんの様子が おかしくなりました。

母が なんべん注意しても 食べ物を隠したり、 

トイレの便器に手を突っ込んで 洗ったりします。

 

そんな ばあちゃんの世話に疲れて 

母は 食事の用意もおっくうになり 

ばあちゃんが好物だと言った 缶詰のスープを 

毎日温めて出すようになりました。

 

ばあちゃんには もう一人トシコという娘がいて、 

アメリカに住んでいます。

もう ずいぶん前に 会いに来たっきりなのですが、

その時に 沢山の土産をくれたり、

あちこち連れて行って貰ったりしたのが 

よほど 嬉しかったらしく、惚けてからは 

「 トシコがいてくれたら 」 と、 

口癖のように 言うようになりました。

 

実際に 世話をしている 母は 

どんなに つらかったことでしょう。

子ども返りして、お菓子の取り合いで ひ孫のヨウコと

喧嘩になってしまったこともありました。

 

ばあちゃんが 逝く日、 ばあちゃんは 

テーブルに出された 缶詰のスープを 

「 もう、 これは いいよ 」 と 

両手でそっと押しやりました。 

そして、 母の顔を 穏やかに見遣って 

「 ありがとうね 」 と 言いました。

かつての ばあちゃんのように 

シャンとしていました。

 

 

ばあちゃんの床を上げると 枕元にティッシュが 

くちゃくちゃにくるまってありました。 

ゴミ箱に捨てようとした 私は 

ふと気づいて 開いてみました。

 

あの 懐かしい思い出が 

あめ玉と一緒に こぼれてきました。