歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

家族を救った泣き虫

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「あの時はみんな北部に子どもたちを行かせていたさ」

お義母さんの戦時下の記憶が蘇りました。

 

父は既に戦争にとられていて、

母は六人の子どもたちを連れていくつもりだった。

家畜の世話がある祖父は残り、

その祖父の食事の世話をするために、

長女である私も残るように言われた。

と言っても、私はたったの12歳。

 

「なんで、わたしだけ残すの?!

 わたしだけ死んでもいいの?!」

と泣きながら母にすがった。

 

「どっちが生き残るか分からん!

 せめてどっちかだけでも生き残る方がいいんだよ」

と言う母の説得にも耳を貸さず、

泣いて泣いて泣きまくった。

 

母はとうとう根負けして

「もう、あんたがそんなに泣くなら行かないさ」

と言って荷物をほどき始めた。

 

近くの防空壕に入ったが、

妹のハルちゃんがあんまり泣くので、

周りの人に嫌がられた。

「他の人たちは子どもを遠くにやっているのに、

 なんで あんたたちだけみんな一緒にいるの?」

とも言われた。

 

それで、仕方なく自分たちで掘った

家の小さな防空壕に戻ることにしたが、

その時も私は

「いやだ!今戻ったらやられてしまうよ。

 わたしは行かない!」と言い張って泣いた。

すると母はあきれたように

「じゃ、あんただけここにいなさい」と言って、

少しご飯の残った釜を置いて出ていった。

 

夜になり、お腹がすいたので釜の蓋を取ると、

ご飯は腐っていた。

急に寂しくなって「おうちに帰ろう」と思った。

 

歩いていると 向かいから

「ヨシちゃんじゃないか?」という声がした。

いつも可愛がってもらっていた

親戚のおじさんたちだった。

 

こんな夜更けになぜ一人でいるのかと聞かれて、

これまでの経緯を話した。そして

「助けてください。わたしたちの家防空壕では、

 みんなやられてしまいます。おじさんたちの所で、

 ほんのちょっとの場所でいいから、

 わたしたちを入れてください。お願いします。

 お願いします!」と涙ながらに訴えた。

 

「わかった。夜の十時になったら艦砲が止むから、

 もし場所を見つけたら迎えに行く。

 来なかったら、その時はあきらめてくれ」

 

今か今かと待っていると、おじさんたちが現れた。

そして二人で玄関前にある竹で編んだヒンプンを

抱えて歩き出した。着いたのはシムクガマだった。

「どこも人で一杯なので、このヒンプンを

 小川の上に置いて座ろう」

そこが私たちの場所になった。

 

その後、

家庭用の小さな防空壕は次々と破壊されていった。

 

すぐ近くにはチビチリガマがあった。