歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

魂に平安あれ

f:id:tamacafe:20200817111508j:plain

チビチリガマの人たちは全滅したさぁ」

義母の話は続きます。

 

「竹やりを持って出て米兵にやられた者、

 捕虜になると辱めを受けるという教えから、

 看護師さんが注射して死なしたのもいたよ。

 その弟は後にそれを知っておかしくなっていたさ。

 

私たちは、すぐ近くのシムクガマだったのに、

全員助かった。

アメリカ―が「何もしないから出て来なさい」

と拡声器で言った時、

「どうせ死ぬんなら、みんな一緒に死のう」

と言う人がいて、そうした。

 

最初に出た人たちは戦車に乗せられた。

私たちは歩いてついて行った。

戦車が海に向かったので

「ああ、私たちはみんな海で殺されるんだ」と思った。

 

でも、そうではなかった。

アメリカーは私たちをテントの中に入れ、

食べ物や着る物をくれた。親切だったよ。

配給の時、私は勇気を出して、

背中におぶっている弟の分もちょうだいと言ったら、

米兵は缶詰の中のクッキーを

毒味のつもりで自分が一枚食べ、残りをくれた。

 

一中から通信兵で出ていた兄にもやっと会えたけど、

タライに水を入れて背中を流していたら、

あまりの骨と皮に 私はまたも大泣きしてしまった。

すると兄は

『ヨシ、泣くな。兄ちゃんは今に太るから。

 きっと太って強くなるからな』と言った。

 

その兄はほんとに強くなって、

私たちを狙ってやって来た兵隊を

空手で追い返したこともあったよ」

 

私は悲惨な内容にも関わらず、義母の話しぶりが

明るいのはなぜだろうと考えていました。

それは、義母の締めくくりの言葉で解答を得ました。

 

「私は本当に幸せさあ。こうやって生かされて、

 みんなに囲まれてお祝いしてもらえるんだもの」

憎しみや恐怖より、

感謝と喜びに立った義母の述懐でした。

 

踊り手である私の息子は、慰霊のために

チビチリガマに踊りに行った事があります。

息子はガマの前で踊ろうとしましたが、

あまりに念が強くて踊れなかったそうです。

(以下、息子の沖縄旅行記より)

 

―――そうだ、近くの海で踊ろう。

 

僕はガマに向かい

「良かったら魂だけでも見に来てください」

と小さな声で言った。

 

高台で海が一望できる、

まさに踊りのための場所を見つけた。

 

風が吹き抜ける。

 

僕はチビチリガマの駐車場で摘んできた

真っ赤なハイビスカスを

海が見えるように置き、

 

さぁ、踊るよ、と言った。 

 

鳥肌が立った。

 

ありがとう と聞こえた。

大人の声だった。

子どもたちは喜んでいた。