歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

疑惑の死を超えて

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病院に駆けつけ、集中治療室に入ろうとすると、

「お母さんは、外で待っていてください」

と看護師に止められた。

 

やがて通された場所には、きれいな産着に着替え、

鼻腔には綿が詰められた我が子が横たわっていた。

 

「なぜ!? なんで、こんな急に? 

 どうして、すぐに会わせてくれなかったの?!」

 

下痢嘔吐が激しく、医師は

「風邪を拗(こじ)らせたんでしょう。大事を取って、

 しばらく入院させましょう」と言っていた。

 

二日目に突然危篤の知らせ。

 

病院側の説明は、半狂乱で我が子を掻き抱く 

トヨコの耳には届かなかった。

 

生後三ヶ月、表情も豊かになり、

喃語(なんご)も出て、

可愛い盛りの我が子を失った悲しみは、

筆舌に尽くしがたいものだった。 

家に帰るたびに、片づけられずにいる 

空のベビーベッドを眺めては、

止めどもなく涙が溢れた。

 

それに加えて、病院の処置、対応への疑惑、

不満が、トヨコをさらに苦しめた。

「医療ミスがあったのではないか。 

 あの病院に連れてさえいかなければ・・・」

 

おとなしい夫は、再三抗議に行こうとするトヨコに 

付き合ってはくれなかった。

「何をしたって、

 もう、あの子は帰って来やしないよ」

 

中学校一年生の息子と、小学校六年生の娘は、

あまりに深いお母さんの嘆きに、なすすべもなく、

ただただ自分たちの淋しさを 

押し込める事しかできなかった。

 

その後、トヨコは夫と別れ、

子どもたちも大きくなって、それぞれ家を出た。

トヨコは、三つの仕事を掛け持ちにして、

ひたすら働いた。

 

 

 二十年後、トヨコの家では、久しぶりに家族が集い、

ささやかなお祝いが催された。

待ちに待った初孫の誕生! である。

ぷくぷくしたほっぺたに頬ずりし、

握り返すちっちゃな手に感動し、

天使のような笑みにとろけそうになりながら、

トヨコは幸せの絶頂にいた。

 

そして、「あの子」のことが思い出された。

ほんの三ヶ月ではあったけれど、

今日のように心から誕生を祝い、抱きしめ、

精一杯愛した。 

 

「後悔はない。たとえ、いつ、いなくなっても――」

そんな気持ちが静かに湧き上がってきた。