歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

今、死なずにいるのは「丈夫な心」のおかげ

今回は長くなりますが 

わたしのBooks Healingストックより 

中村天風の生きる手本」宇野千代監修 三笠書房 

を お送りします。  

 

哲学者イマニエル・カントは、貧しい、

馬の蹄鉄打ちの家に生まれた。

背中には団子みたいな瘤(こぶ)があり、喘息で、

今にも死にそうな子だった。

毎日、苦しい、苦しいとのた打ち廻って、

それでも、17くらいまで生きていた。

 

あるとき、親爺が、生まれつきだから、

どうせ駄目だろうと思うけれども、せめて、この、

苦しさだけでも軽くしてやろう、と医者に連れてった。

 

医者はつくづくと顔を見ながら

「気の毒だな、あなたは。しかし、気の毒だな、

と言うのは、体を見ただけのことだよ。

よく考えてごらん。体はなるほど気の毒だが、

苦しかろう、辛かろう、それは医者が見てもわかる。

 

けれども、あなたは、心はどうでもないだろう。

心までも、見苦しくて、息がドキドキしているなら、

これは別だけれども、

あなたの心は、どうもないだろう。

そうして、どうだ、苦しい、辛い、

と言っていたところで、この苦しい、

辛いが治るものじゃないだろう。

 

ここであなたが、苦しい、辛いと言えば、

おっかさんだって、おとっつぁんだって、

やはり苦しい、辛いわね。

 

言ったって言わなくたって、何にもならない。

ましてや、言えば言うほど、

よけい苦しくなるだろう、みんながね。

かえって迷惑するのはわかっていることだろ。

 

同じ、苦しい、辛いと言うその口で、

心の丈夫なことを、

喜びと感謝に考えればいいだろう。

体はとにかく、丈夫な心のおかげで、

お前は死なずに生きているじゃないか。

 

それを喜びと感謝に変えていったらどうだね。

出来るだろう。そうしてごらん。

そうすれば、急に死んじまうようなことはない。

そして、また、苦しい、辛いもだいぶ軽くなるよ。

 

私の言ったことはわかったろ。そうしてごらん。

一日でも、二日でもな。

わからなければ、お前の不幸だ。

それだけが、お前を診察した、

私のお前に与える診断の言葉だ。

わかったかい。薬はいりません。お帰り」

 

遠い道をてくてく歩きながら、

親子いっしょにわが家へ帰って来た。

いろりの前にちょこねんと坐ったカントは、

医者に言われてきた言葉を考えた。

 

じっと考えているうちに、そうだ、

あのお医者の言った、心は患っていない、

それを喜びと感謝に

振り替えろと言ったけれども、

俺はいままで、喜んだこともなければ、

感謝したこともいっぺんもない。

 

ただ、朝起きると、夢の中でも苦しかった、

辛かった、そればかりが、俺の口癖だった。

冗談にも、嬉しいとか、有難いとか言ったことはない。

それを言えと言うんだから、言ってみよう。

言ったって損はないから言ってみよう。

 

親爺が「もう、寝ろ」というと、

「心の丈夫なことは、有難うございます」

「何をくだらないことを言っているんだ」

「いえ、お医者さんに言われたことを、

 ここで一所懸命、おさらいをしているんです」

「くだらないことを言わないで、早く寝ろ」

「くだらなくないよ、おとっつぁん。

 さっき連れて帰ってもらってから、いままで、

 いっぺんも、痛いも苦しいも言わないだろ」

「ふん、言わないな。痛くないから、

 言わないんだと思った」

「ただ、医者の顔見ただけで、

 痛いのが治ると思うかい。

 痛い、苦しいと考えても、

 治らないことを考えるのは止めるんだ。

 とにかく、止めるだけ止めてみろ。

 そうして、有難うござんす、嬉しゅうござんす、

 と一所懸命言うんだよ、とそう言うから、

 嬉しい気持ちになるかならないか、わからないよ。

 でも、そう言っている間、痛い、

 辛いと言わないだけでも、おっかさん、

 おとっつぁんたちは、心配しないだろ」

「ああ心配しないよ」

「しなければ、それでいいんだよ」

 

寝て起きて、また明日、

医者に言われたことを考えるだけで、

喜びと感謝の毎日。

そのうち、三日ばかり経つうちに、いつの間にか、

カントの頭の中に、こういうことがひらめいた。

 

人間というものは、こういう気持ちでいるだけで、

いままでとは、いくらか違ってきた。苦しい、

辛いと言わない。こういう気持ちでいると、

当分死なないだろう。

死なないけれども、炉ばたで、

ただそれだけを考えているのでは、

死んだのと同じだ。

 

どうせ三年でも五年でも、

死なずに生きているとしたら、

ここでぼうっと坐っているだけで、

おとっつぁん、おっかさんに

いまのような苦労はかけないにしても、

もちろん、多少は心配だろうが、

心は何ともないんだから、まず、心と体と、

どっちがほんとうの俺なのか、

これを一つ考えてみよう。

 

このあいだまで、ただ、辛い苦しい、辛い苦しいで、

何にも人の世の中のことなんて、

考えてみたこともなかった。

そうだ料簡を入れ替えて、すこしでも

人の世の中のためになることを考えよう。

 

この文章(カントの自伝)を読んだとき、

私は(中村天風)35だった。ほんとうに涙が出た。

俺はアメリカまで行って医学を学んで

立派な知識がありながら、人のためどころか、

毎日、今日は熱が出やしないか、

今日は血を吐きゃしないか、

今日は苦しいの、そればかりを考えた。

 

なんと山の中の17の子どもが、

こんなことを考えたのか。

くやしいの、情けないの、

ああ俺はとんでもない馬鹿だ。

 

よし、俺は今日から、どんなことがあっても断然、

その尊い気持ちで絶対に生きて行くぞ。

 

それからのちの私は、まったく、

薄紙ではなく厚紙をはがすように、毎日毎日、

来る日来る日、嬉しくて愉しくて、

なんとも形容できない。ただ、有難い、

嬉しいと思うことに努めただけで、1週間たち、

2週間たち、1月たち2月たつにしたがって、

ぐんぐん気持ちの中が洗い清められるようになった。

同時に肉体が、どんどん治ってきた。

                   (本文より)