歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

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マサヒコは、三歳のミヤコを連れて蓮園に行きました。

開花の時には、ポン!と音がするそうです。

それを聞こうと、まだ明けやらぬうちに、

沢山の人々が訪れていました。

 

外来種を含む 形も色も様々な蓮(はす)が、

朝靄(あさもや)に滲(にじ)んで

渺々(びょうびょう)たる湿地を埋め尽くしています。

「わ~! きれ~! おとしゃん、きれ~ね~」 

初めて蓮を見たミヤコは、手をたたいて大はしゃぎ。

 

マサヒコは ミヤコを 

年老いた両親の元へ預けに行く所でした。

事業に失敗し、多額の借金をかかえていました。

その上、過労で倒れた妻にも、

先立たれてしまったのです。

 

もう、未来には、なんの希望もないように思えました。

なけなしの金をはたいて、

ミヤコと小旅行を楽しんだ後は、

一人どこかで死んでしまおうと考えていました。

 

「おとしゃん。このお花、お水の中から出てくるん? 

 ねぇ、ねぇ、おとしゃん」

 

うつろに眺めていたマサヒコは、

ズボンの裾を引っ張られて、かがみました。

 

「泥だよ。泥の中に種が落ちて、

 そこから茎(くき)が広がって花が咲くんだ」

「へ~。 ミヤコ 泥んこ きらい。 

 蓮さん えらいね~」

 

そう言うと、ミヤコは ぷくぷくした手で、

淡紅色の花びらをそっとなでました。

 

立てかけてあった看板には、

約三千年前の種から発芽したという

古代蓮の説明がありました。 

 

「三千年・・・気が遠くなるような年月・・・

 干からびた種が、見事な花をさかせるなどと、

 いったい誰が想像できただろう。 

 しかも、泥の中から・・・・・・」

 

溢れてきた涙を そっと拭(ぬぐ)っていると、

「おとしゃん。 おとしゃん!」と、

またミヤコが呼びました。 

「見て見て! しぇみ!」

 

ミヤコの指し示す松の木を見て驚きました。 

なんと、初夏とはいえ 

まだ肌寒いこの地方には珍しい、

蝉の脱皮を目の当たりにしたのです。 

背中がぱっくり割れた飴色の甲殻から、

今まさに青白い本体が出てこようとしていました。

 

「うんしょ。 うんしょ」

 

ミヤコは、蝉の声を代弁しました。

赤ちゃん蝉は 苦しそうにもがくばかりで、

なかなか出てきません。

 

「がんばれ。 がんばれ。 

 蓮さんみたいに がんばれ しぇみさん」

 

その声に応えるかのように、

体半分と目玉が飛び出しました。

 

「がんばれ! もう少しだ!」

マサヒコも思わず声を掛けました。

透き通った羽が解かれてゆきます。

 

「がんばれ! がんばれ!」

 

その時です。 ポン! と、かそけき音ひとつ。

応援する二人の背後で、蓮がはじけて咲きました。