歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

医療・宗教・超常現象

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クミコとマチコは懲(こ)りもせず、

医療・宗教会議なるものに出かけていった。

会議とは言っても、金さえ払えば誰でも参加できる。 

熱海の温泉一泊込みで三万円。

それならと、今回はクミコも喜んで参加した。 

マチコはもちろんミーハー丸出し。 

手っ取り早く、いろいろと面白いことを

見聞きしそうだと思ったのだ。

 

様々なワークショップがあった。

二人はまず、オーリング体験の方に行ってみた。

 

患者を横にして、術者は側に立ち、右手で、患部、

あるいはその周辺をなでるように探っていく。 

左手はOのリング、すなわち人差し指と親指で

輪をつくり(金くれ、の感じ)その輪を、

別の人が開こうとする。 

予(あらかじ)め、術者と 

輪を開く人との力関係は調整しておく。 

術者が女性で、開く人の力が強い場合は、

力の強い方の指で輪を結び、逆に開く方は、

両手の小指を輪にかける。 そうして、

ちょっとの力では開かないことを確認する。

 

辿っている手が、具合の悪い場所に当たると、

輪は楽に開く。

 

マチコが横になり、クミコが開く役を買って出た。

「ぎゃ~ははは! あ~ははは! 

くすぐったい、やめて~」

マチコが騒いでちっともはかどらん。 

たまに、静かになっても、クミコの力が

術者の先生を上回って、輪はバカバカ開く。

「あなたがたは、手に負えません」

え? それって、もう、手遅れなほど悪いってこと?

少しは深刻っぽくなったマチコに、

「頭探られんうちに、他(ほか)行こう」

とクミコが手を引いた。

 

次は、スピリチャルな本の翻訳で著名な夫婦を

囲んでの座談会。

十二畳ほどの部屋は人でびっしり埋まっている。 

部屋の前には文机が置いてあり、

その向こうにメガネの夫婦。 

クミコとサチコが、入り口付近になんとか座ると、

奥さんの方がいきなり聞いた

「この中に、金星から来た人はいますか?」

へ? と思うまもなく、

「はい! 金星から来ました」と、

女の人が勢いよく手を挙げた。

「私は、火星です」と、男の人。

「ようこそ、いらっしゃいました」と、奥さん。 

他の人も、当たり前のような顔をして、

早速次の話題に。

紙に手を置くと、勝手に書いていく自動書記の話

――翻訳の話じゃないの?

な、なに? これって、どーゆー集まり???

 

クミコは金星人から、

今にも「金粉」が出てきやしないかと目が離せない。

バッグから パンフレットを取り出したマチコは

「医療・宗教会議」の下に、

小さく「超常現象」と書かれているのを見た。

 

異様な雰囲気の部屋を出て、

缶ジュースで一息ついていると、

「もう、UFO見た?」と、

若い娘から声を掛けられた。

「え? UFO?って、あれ? あの、あれ?

 いや~、はははは・・・・・・」と、

訳の分からん受け答えをするクミコ。

「やだ~、まだ見てないのぉ~? 

富士山でしょっちゅう飛んでるのに」

「しょっちゅう?!」とマチコ。

「あったりまえじゃん! 今度、見においで。 

手を繋(つな)いで、みんなでUFOを呼ぶから」

 

なにが「あったりまえ」で、

だれが「あったりまえ」じゃないのか。

狐につままれたような面持ちで、

えらく疲れた二人は 宿泊予定に割り当てられた

部屋へと早々に引き上げた。

 

大部屋だった。

「膝(ひざ)が、ピキッと鳴るのよ。 

勝手に夜中に動き出すの。 それがラップ現象。 

アメリカで有名な姉妹がいてね、初めは鉛筆、

そのうち いろんな物を浮かせたり、

壊したりするようになったの。 

私だってこの間ね・・・」

盛んに念力の仕草をくり返す人の群れ。 

かと思うと、左手にダビデの星を持ち、

右手の人差し指で 座っている人の頭のてっぺんを

叩き続けている人もいる。

「こうすると、邪気が出て行くのよ。ほら、

燻(くすぶ)ったような臭いがしてきたでしょう?」

言われてみれば、

てっぺんから黒い湯気のような・・・・・・。

「屋上にピラミッドを造ったの。 

そこでパワーアップするのよ」

「私はバスタブの四隅に水晶を置いて、

良い波動を・・・」

「私は、夜中にいつも、窓から出て、

街の上空を浮遊するの」

口をあんぐり開けて、ボーッと座るクミコとマチコ。

二人は今まさに、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の中で

幽体離脱(ゆうたいりだつ)の状態であった。

 

おちゃらか おちゃらか おちゃらかほい

だ~れが正気か おちゃらかほい

自分を勘定に入れず

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たしか 笑点の番組で 聞いたと思う。  

円楽が 何か一つを買ってきた。 

 

それが 何だか覚えていないが、 

例えば 美味しいお饅頭を一個買ってきたとしよう。

 

家にいた御上さんが それを見て 

 

「 まあ 一個だけ ?! 

自分のことしか考えないのね 」 と諫めたら、

 

円楽は すかさず 

「 君のことしか考えていなかったんだよ 」

 

ダンディーだねぇ。   

 

たとえ口から出任せだと思っていても、 

こう切り替えされちゃ 怒れないよ。

 

でも、 ほんと、 

たまには 自分を勘定に入れず 動きたいものだね。

 

 

 

 

「 語るなと 人に語れば その人が 

また 語るなと 語る 世の中 」 これも円楽。

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暴漢に襲われた人を 婦警さんが助けようとしたが、 

その婦警さんもやられて こっちへ逃げてくる。

それを見た あたしは 

一瞬 フンム! と 踏みとどまったが、 

すぐさま 踵を返して すたこらさっさ。

 

あたし 婦警さん 暴漢 の順で 

駆けっこする夢を見た。  

情けないったらありゃしない。 

と 少しガッカリしたが、 そこは 夢 だもの。  

あまり 深刻に受け止めないようにしようっと。

 

酒を飲ませると その人の 本性が分かる。 

と言う人がいる。 そうだろうか?

夢でも 酔った時でも、 特殊な状況で 

その人を判断していいものだろうか。

普段の生活の中で こうありたいと踏ん張っている。 

酒を飲んだら 人に絡みやすくなるみたいだから 

控えようとか、 

楽しい気分の時だけ飲もう とか、 

考え考え ちまちま生きてる。 

そういう人柄を そのまま 

受け止めたらいいではないかと思う。

 

一人の時は 弱くても、 

人は人を気づかう生き物だからね。

 

例えば 「 片付けなさ~い! 」って 

怒鳴ってた母さんが、 

ご近所の人が訪ねてきたとたん 笑顔になる。

子どもは その豹変ぶりを見て 

「 偽善者! 二重人格! 」なんて揶揄するけれど、

これって 気遣い なんだよね。  

関係ない人まで不愉快な思いさせることないじゃん。   

 

動物には決して真似できない。  

人間だから 出来ること なんだよね。

孫の手

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はぁ~あ・・・・・・かゆい所に孫の手が届く

 

これが ほんとの「孫の手」だったら 

ぬくぬくぽちゃぽちゃして 

なおさら気持ち良かろうに と思う

 

加齢臭だの 何だのと言って 

老人を避けるような 子ども達もいる

 

しかし 見舞いに訪れた病院で 

お年寄りの はみ出した足に 

布団を掛けてあげようとした 若い娘が 

その干からびた足を 

思わずさすってやる光景に出くわして 

こっちの心まで 温めてもらった

ギャップ

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以前 友人のシュウに 

 

「 ほら 今 間が空いたやろ 」 

と言われて ギクッとしたことがある。

 

話の最中、 或いは 相手の問いかけに対して 

言葉を選ぶというのは 

 

一見 相手を思い遣っているようでもあるけれど、 

 

その実、 思いと 言葉の間に 

ギャップがあるのは 素直じゃない証拠。 

 

駆け引きや ずるさがあったりするのに気づかされた。

チキンの巣焼き

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さんまをヒタヒタ煮にしても、まだ余った赤ワイン。

魚の後は、肉といくか。

 

骨付きチキン(手羽でもなんでもよか)の

皮部分をフォークでブチブチ刺して、

味を滲みやすくする。 

んでもって、ワインを浴びせて、塩、胡椒。

 

庭にあるローズマリー。 

葉っぱだけ採ろうとすると、ムチャムチャするので、

枝ごとバッサバッサ切る

(繁茂しやすいので、思いっきり使える)。

 

オーブンに10センチ位に切ったローズマリーを敷き、

その上にチキンを載せ、またローズマリーで被う。 

巣の中、あるいは藪の中のチキン君(?)を、

240度、20分で焼く。 

(オーブンの種類によっても違うから、

途中で確認したりするといいよ)

 

枝の部分が程よい通気口となって、

香ばしく、うまいチキンが焼き上がる。

 

ちなみに、ローズマリーは、気分を晴れやかにして、

精神を安定させ、

神経系の調和をとる働きがあるらしい。 

鬱病、不安神経症などに効果的とのこと。

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私は ペンで直接 本番の絵を描くのが好きだ。 

下書きはしない。 

鉛筆の上からなぞっていくのは、

二番煎じの気がしてすかんし、第一、面倒臭い。 

その時の気持ちをぶつけるより、

きれいに仕上げることを目標にしてしまう。

そんな絵は、 

どこかプラスチックな 造花の感じがする。

 

もちろん、仕事上、きれいに仕上げる場合もある。 

POPを描く時などがそうだ。

また、正確に描きたい時、

余りにも動きが速くて追いつけない時などは、

小分けにスケッチして、

パッチワークのように絵を嵌めていったりする。

 

「絵を描きたいけど、うまく描けないから」 

とよく聞く。

「うまく」 というのは、どういうことだろう。

人と比べて? 似ているかどうか?

私にとって、絵は 創造者たる自身の表現。 

評価の対象ではなく、心の形。

色を置く作業は、癒し。 

その時の私に、きっと必要な配色なんだろうと思う。

 

ほんとに、なんの制限も、先入観も持たせずに、

思いっきり子どもに絵を描かせると、

しかも、何百枚と描かせると、その子の生活、

心情がビンビン伝わってくる。

言葉をうまく駆使できないからこそ、

絵で訴えてくるのだと思う。

 

人は、自分を表現せずにいられない。 

バラが香りを放つように、それは自然の事なのだ。

その手段は、言葉であったり、態度であったり、

音楽であったり、絵であったりする。

バラはバラで、素直にその存在を

愛でることができるのに、

どうして絵は分析評価したがるのだろう。 

もっと自由に、のびのびと描いたらいいのに・・・。 

「うまく」 なんて、 どーでもええ!