歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

ナイフ

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マチコが「あいにく、行けそうにないのよね」

という理由で、クミコとたまに

「ビストロ・フレンチ」の

有効期限ぎりぎりランチ券をくれた。

 

「予約していた者です」と、クミコがフロントで

確認している間、ボーイさんが、

たまに両手を差し伸べた。 

たまは、とっさに持っていた巾着を後ろ手にした。

「追い剥(は)ぎじゃないんだから」と、

クミコが苦笑いしながらコートを脱いで渡した。

 

葉加瀬太郎のバイオリンが流れる優雅な空間。 

真っ白いテーブルクロス、瑞々しい観葉植物に、

やわらかな光が溢れていた。

 

ウエイターが窓際の椅子をサッと引き、

たまに にっこりした。 

たまが座り、それからクミコが座った。 

ウエイターが行った後、クミコが言った。

 

「目上の人が、先に座るんだって。 

たまが年食って見えたんだ。 くっくっく・・・」

クミコはあらかじめ、マナー本に目を通してきたのだ。

「何言うか! 目上っつうのは、主賓(しゅひん)てぇ

意味もあるんじゃ。 えへん!」と、たま。

 

「テーブルの上に私物はのせないのよ」と言いながら、

クミコはバッグを椅子の背もたれに置いた。 

「ナプキンは二つ折りにして、

折り山を手前に膝の上へ」

「なんだか、めんどくさいなぁ」とたま。

「でも料理はフルコースと決まっているから、

あれこれ選ぶ手間が省(はぶ)けて良かったじゃん」

とクミコ。

 

ワインのテイスティングがやってきた。

「あ、ほれ、あの人、なんっつうたっけ、

ほら、サムライ・・・」と、たま。

「ソムリエでしょ」と、クミコがシュッと釘指して、

「いえ、ワインは結構です」と断った。

 

「とにかく外っ側から使ってけばいいのよ。 

途中はハの字に置いて、食べ終わったら

ナイフとフォークを揃(そろ)えればいいの」

 

前菜は鴨(かも)のローストとハーブのサラダ。 

レモンイエローの皿の中央にちょこんと盛られている。 「オッシャレね~」とクミコ。 

「ハーブをな、辞書で引いたらな、

『草』って出てたで」と たまが言って、

とたんに馬面(うまづら)になって食う二人。

 

次はカボチャのポタージュスープ。

「あっち側にすくうのがイギリス風。 

こっち側にすくうのがフランス風なんだって」

たまは、真横にすくった――「これが、たま風。

ズズ~~」「音を立てない!」とクミコ。

 

メインディッシュは真鯛ポワレ

牛フィレのミニョン。 そこまでいくのに、

なんだかとっても疲れてしまった二人。

「やれやれ」と、たまが牛肉を切り分けようとした時、

ウエイターがあわてて飛んできた。

 

「すみません。こちらのナイフでどうぞ」と、

たまの手にした物を取り上げ、別のナイフを渡す。

 

「おほほ・・・そうよね。 

それ、果物ナイフですものね」とクミコが言うと、

ウエイターが申し訳なさそうに答えた――

「いえ、お魚のナイフです」。

 

 

 

 おちゃらか おちゃらか おちゃらかほい

見~栄は張るなよ おちゃらかほい