歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

人生の刈取り

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ミクはヘルパーの資格を取って、

最近出来たばかりの老人ホームで働く事になり、

立ち上げの備品調達から関わりました。

予算があまり無いとの事で、タオルや小物入れ、

洗面用具などの生活用品を、

百均やディスカウントストアで買ったり、

家から持ち寄ったりもしました。

 

「建物は出来たてで見栄えよくピカピカしているのに、

 中身は初めからこれじゃ~先が思いやられるな」

とミクは感じました。

 

所長を含めスタッフは6人。 

募集の時と違う仕事内容を見て、ミクは驚きました。 

なんと、三交代制勤務の合間に、

食事の買い出しから支度まで、

仕事に組まれていたのです。 

予定していた給食担当の人が、

急遽辞める事になったからとのことでした。 

しかも、全員分の食事を

一食あたり千円以内でやってくれというのです。

反発して「私は食事当番は嫌です」

と言い出す職員もいました。

 

「うわ、もう、内部分裂?」と不安なミク。

 

近所にチラシを配ったり、ネットで宣伝をして、

オープン後まもなく二人のお年寄りが入居しました。

 

一人目はペロリン。 皮膚が異常に弱くて、

少しの刺激でペロリと剥けてしまうのです。 

奥さんを亡くされ、しばらくは、嫁いだ一人娘が 

時折実家にやってきて世話をしていたのですが、

痴呆が進んで、どうにも面倒見切れないということで、

連れて来られました。 

 

もと国鉄職員で謹厳実直、礼儀正しい人です。 

ただ、困った事に、

「お世話になりました。 では、家へ帰ります」

と言って、勝手にホームを抜け出してしまうのです。 

その上足が丈夫ときてますから、

どこまでもどこまでも歩いていきます。 

 

ミクは、そんなペロリンに、

とことこついて行きます。 

もともと、ミクも散歩が好きでしたから――。 

何度か付いて行くうちに、満足するだけ歩くと

「やはり、今日もそちらに泊めていただきます」

と言って、踵を返してくれることに気づきました。

 

ところが、ある日、

ペロリンのことをよく知らない臨時職員が、

逃亡したペロリンを追いかけて、

無理矢理連れ戻そうとしました。 

体力が取り柄のペロリンは大いに抵抗し、

夢中でタックルした職員は、

ペロリンの皮が剥けて血だらけになっているのに

度肝を抜かれました。 すぐに病院へ連れて行き、

幸い大事には至らなかったものの、それ以来、

ペロリンは、その職員を避けるようになりました。

 

もう一人はイバリン。 

なんでも昔は軍隊で偉い地位にあった人らしいのです。

奥さんを奴隷のように扱います。

痴呆のせいか、ますます横暴になってきたので、

子どもたちによって、ここに入れられました。

ご主人を施設に入れた負い目から、

奥さんはビクビクしながらも、

毎日のように訪れては世話をしていました。 

 

イバリンは施設の規制が緩いのをいいことに、

部屋で禁止された酒やタバコを奥さんに買わせ、

職員室にやってきては、

吸ったり飲んだりしていました。 

さらに、あれやこれやと言いつけ、

あげくの果てには、夜中にも来いと言い出す始末。 

奥さんの疲労はピークに達し、施設側も困るので、

話し合いの結果、

そんなに頻繁に来る必要は無いという事になりました。

 

その頃、チビリバビデブーが入居してきました。

ぷっくらした、可愛らしいお婆ちゃんです。 

イバリンもペロリンも興味津々。 

人の良いペロリンは、

さっそく世話を焼き始めました。 

食事の準備を手伝ったり、「まともな時」は

施設の事を説明してあげたりしていました。

 

イバリンはいつも、テレビ前の三人がけソファーに

寝っ転がるようにして独り占めします。 

そして、気に入った女性職員が通ると、

足を下ろして、「ここに座りなさい」と言うように

手招きするのです。 ミクも何度か呼ばれましたが、

この人は、女は男のためにあるとでも思っているのか、

いやらしいタッチをするので、行かなくなりました。

 

ペロリンもそれを見ています。 

いつもは、イバリンの剣幕に押されて、

まるで子分のように

へーこらしているペロリンでしたが、

チビリバビデブーのために勇気を奮い起こしました。 

なんと、テレビ前の特等席はみんなのものだ!

と言わんばかりに、

投げ出されたイバリンの足を払いのけ、

チビリバビデブーと一緒に

どっかと腰を下ろしたのです。

 

これには、職員達も日頃の胸のつかえが取れたようで、

心の中で拍手喝采をしていました。

 

さて、我が儘やら脱走やらで、

昼間の騒動もさることながら、

老人ホームは夜も大変です。

人に気を使って真面目なペロリンですが、

夜になると心細くなるのか

「お母さ~ん。 お母さ~ん」と、

子どものように泣きじゃくります。

 

イバリンは相変わらず

「こんなとこに入れやがって!」とかなんとか

わめき散らしながら、壁にぶち当たったりしています。

 

でも、一番やっかいなのはチビリバビデブーです。 

所かまわず糞尿をまき散らすのです。

手袋をして受けるべきものを、間に合わずに、

ミクは何度も素手

「ほっこり」受け取らざるを得ませんでした。

この人のお陰で、夜勤は大忙し。

モップや雑巾、バケツを持って、はいずり回ります。

 

「時給800円じゃ、合わねぇよな~」と、

ミクもへとへとです。

 

でも、そんなこんなしながら、人数も増え、

ミクの音頭で機嫌良く歌ったり踊ったり、

だんだんとうち解けてきた職員と入居者達でした。

 

しかし、ある夜の事、異変が起きました。

妙なうめき声を聞いて、

夜勤の職員がイバリンの部屋へ駆けつけると、

なんと、イバリンが、

鼻と口にティッシュを一杯詰め込んで、

自殺を図っていたのです。 

施設では孤立し、

誰も面会に来なくなったのを苦にしてのことでした。

救急車が呼ばれ、一命は取り留めましたが、

知らせを受けた ミクはショックでした。

 

老人ホームで働く前、

ミクはお年寄りを大切にしない

昨今の風潮に憤っていました。

姥捨て山のように施設に預けっぱなしで、面会もせず、

年金だけちゃっかりもらいに来る家族が

いるらしいと聞いては、腹を立てていました。

 

しかし、ここへ来て、少し考えが変わりました。 

そういう扱いを受けるお年寄りの側にも

問題があるのではないか。 その人が、これまで、

どういう生き方をしてきたか。 

人に対してどうであったか。 

最期に、人は自分の蒔いた種を

刈り取っていくのかもしれないと。