歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

くじけそうなとき

くじけそうなとき 

 

意識を天に向けなさい

 

向け続けなさい

 

良いことを思いなさい

 

気高くありなさい

 

 

母の89歳の誕生日に 柴田トヨさんの

「くじけないで」という詩集をプレゼントしました。

柴田さんは90歳から詩作を始め

98歳で処女詩集を出された方です。

 

残念ながら 

母は90歳直前で亡くなってしまいました。

遺品整理をしていると 母のベッドの引き出しに 

詩集がありました。

 

母は寝る前に必ず本を読む人でした。

わたしがプレゼントした包装のまま 

その上から さらに 

丁寧にビニールで包んでありました。

 

母は 大事にしすぎるあまり 

ついに 読まず仕舞いしてしまったのでしょう。

もしかしたら「くじけそうなとき」が

無かったのかもしれません。

ただ感謝して

すべてを目的のための手段と捉え

自分と人を役に立つか立たないかで見

リハーサルと後悔を繰り返し 決して現在(いま)にいない

追い立てられ くつろぐことがない 

ああ ただ感謝して ただただ感謝して 

生きてりゃいいのに

 

 

よく スピリチュアル系の本かなんかで

「ギリギリのところで 救いの手が差し伸べられた」

とか「その時は悪い事が起こったと思ったが 

後になって 

それによって助けられていたんだと知った」とか 

書いてありますが 

わたしは常々「それなら何で 

最初から助けてくれないんだろう?

そうしたら ひやひや ドキドキ 

無駄な心配をしなくて済むのに」と

疑問に思っていました。

 

ある朝 フワッと思い浮かんだのです。

大魂は 小魂のわたしがやりたい事を 

応援してくださる。

親でありきょうだいであり親友のような存在。

 

何より わたしの自由を尊重する。

その自由には「間違う自由」も含まれる。

 

でも やっぱり親だから

「こりゃ いくらなんでも まずいだろ!」と

思う瞬間には 注意してくれる。

小魂のわたしが 大魂に対して開いていれば 

そのメッセージをキャッチしやすくなる。

って 事なのかな?

 

でも 子どもの中には あえて

「親の援助なんかいらねぇよ」って人もいるわけで 

それはそれで 

その人の今生の学びなのかもしれない。

だけど やっぱり ただ見てられなくて 

あれこれ おせっかいをしてくるのが

大魂ってぇ 存在なのかな って思いました。

怒り

誰彼の問題ではない 

 

単なるエネルギーの爆発だ

 

発散しろ サンドバッグを叩け!

 

 

発達障害を持ったお子さんを育てている友人がいます。

何かにつけて 奇声を発したり 

怒りをぶつけたりするそうです。

 

なので サンドバッグを 買いました。

二人で思いっきり叩き合っていると 

いい汗をかいて 

時折笑いも出てくるようになったそうです。

 

楽しい気持ちが湧いてきたので 

次は 太鼓叩いてみようかなと言っています。

後悔しない

「後悔しない生き方をしなさい」とよく言われます。

「後で悔やまないようにこれをやっておこう」とか

「そんなことして あるいは しないで 

後悔しない?」とか。

その言葉って どこか 押しつけがましいというか 

圧迫感があります。

 

なので わたしは 初めから

「後悔しない!」と決めました。

その時その時で 私にできることを 

選んでいるのです。

最善ではなかったとしても 

それが その時 わたしにできる事だったのです。

後悔しても その時を取り戻すことはできません。

ならば くよくよして時間を無駄にすることなく 

また 今 に集中しようと思うのです。

笑い顔

笑い顔っていいなぁ

 

その人の 子ども心が ぽろりと出てきたようだ

 

笑い顔は美しい 笑い顔は若々しい

 

 

初コンサートで 何十年ぶりかのお化粧 

皆に教えられたとおり

マスカラやカーラーもとりあえず揃えました。

 

さて いざ 練習してみると 

老眼で 目元が見えません。

まさか眼鏡をかけて引くわけにもいかず 

なんとか 眼鏡の下から 

こわごわラインしてみましたが 

大鏡で 目元を確認すると ずれてます。

 

何度か挑戦してあきらめ 

結局 おしろいと口紅だけですますことにしました。

 

「笑顔が最高のお化粧!」と自分に言い聞かせました。

八千草薫さん

私は、幼い頃の数年間を祖父母の元で暮らしました。

その頃、祖母は、母親とはまた違った

祖母なりのしつけをしてくれました。

その中でとても印象に残っていることがあります。

 

それは、眠る前のお祈りでした。

必ず眠りに入る前に、

手を合わせて神様に挨拶をしてから寝なさいと、

教えられたのです。

 

幼い私にとって、神様と聞いて思い浮かんだのは、

若くして亡くなった父でした。

それで毎晩、今日あった出来事の反省や

失敗したと思うことなどを父に話しかけて、

最後は手を合わせて「おやすみなさい」と

挨拶するのを習慣にしていました。

 

小さな子どものことですから、

面倒な日や眠くてたまらないときなどは、

申し訳程度に

手を合わせただけだったこともありました。

 

でも、その日一日あった辛いことや、

悲しい出来事などを父に報告する

この習慣があったおかげで、

嫌な感情を帳消しにして翌日まで

持ち越さないようにすることができたのです。

 

それと同時に、いつも神様が見ているから、

悪いことをしてはいけないし、

噓もついてはいけない。

毎夜手を合わせていると、

そんな思いも自ずと芽生えてきました。

 

祖母はきっと、子どもの私に、

そのことを教えたかったのではないでしょうか。

 

今ではほとんど聞くことがなくなりましたが、

かつては「お天道様が見ているから、

恥ずかしいことはできない」

という言葉をよく使いました。

 

いつもどこかでお天道様が見ていてくれる――。

そのことに感謝して時折手を合わせてみる。

そうした感覚を忘れなければ、

品位や品格というものも

自ずと保たれるのではないか、

という気がいたします。

 

「あなただけの、咲き方で」八千草薫著 幻冬舎より

 

 

八千草薫さんの あの優しく上品な佇まいは 

この様な習慣にもよるのですね。

謝礼

コンサートが終わって 

それぞれ 花束やらプレゼントやらを頂きました。

 

リハーサルの際に 先生とピアニストの方への花束 

そして まったく無給で 

すべての準備をしてくださった先生への謝礼も

出そうと言う人がいました。

 

「他では皆やっているのよ」との言葉に 

出演者一同は頷きました。 

 

本番終了間際に 申し合わせた人が 花束贈呈。

そして お客さんがはけた後に 

礼金を先生に渡そうとすると 

先生は 固辞なさいましたが 

まだ 人がいたことと 渡す人の押しの強さに 

いったんは受け取られました。

それが土曜日。

 

日曜日はみなゆっくり休んで 

月曜日の朝 

先生からラインメールが送られてきました。

 

おはようございます。

皆さま、昨日は心温まるメッセージ

ありがとうございました。

色々な場所で活動する皆さんを

わたしの門下生と言っては、

不都合のある方もいらっしゃるのではと思い、

控えておりましたが、

やはり「門下生」という響きは嬉しいものです。

ありがとうございます。

 

第一回を開催するにあたって、

色々なことを考えました。

「歌が上手になりたい!」

という共通の思いをもって、

レッスンに来てくださってることと、

私の公演なども応援してくださることに

大変感謝しております。

 

この発表会は毎年開催したいので、

私の希望としては、

普段のレッスン費以外の謝礼は

受け取りを控えたいと思っております。

 

レッスンに来てくださるだけで充分です。

色々な考え方があると思いますが、

私のわがままをお許しください。

次回お会いする時にお返しいたします。

お心遣いありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします

 

そして 

ボイトレの日にほんとに返していただきました。

 

先生が音大生だった頃 指導者の方たちに 

何かと謝礼を渡さなければならなかった事に 

うんざりしたそうです。

「お金のない人だっているのに・・・・」

だから ご自分が その立場になったら 

謝礼は受け取るまい と決めたとのことでした。