歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

ただ感謝して

すべてを目的のための手段と捉え

自分と人を役に立つか立たないかで見

リハーサルと後悔を繰り返し 決して現在(いま)にいない

追い立てられ くつろぐことがない 

ああ ただ感謝して ただただ感謝して 

生きてりゃいいのに

 

 

よく スピリチュアル系の本かなんかで

「ギリギリのところで 救いの手が差し伸べられた」

とか「その時は悪い事が起こったと思ったが 

後になって 

それによって助けられていたんだと知った」とか 

書いてありますが 

わたしは常々「それなら何で 

最初から助けてくれないんだろう?

そうしたら ひやひや ドキドキ 

無駄な心配をしなくて済むのに」と

疑問に思っていました。

 

ある朝 フワッと思い浮かんだのです。

大魂は 小魂のわたしがやりたい事を 

応援してくださる。

親でありきょうだいであり親友のような存在。

 

何より わたしの自由を尊重する。

その自由には「間違う自由」も含まれる。

 

でも やっぱり親だから

「こりゃ いくらなんでも まずいだろ!」と

思う瞬間には 注意してくれる。

小魂のわたしが 大魂に対して開いていれば 

そのメッセージをキャッチしやすくなる。

って 事なのかな?

 

でも 子どもの中には あえて

「親の援助なんかいらねぇよ」って人もいるわけで 

それはそれで 

その人の今生の学びなのかもしれない。

だけど やっぱり ただ見てられなくて 

あれこれ おせっかいをしてくるのが

大魂ってぇ 存在なのかな って思いました。