歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

やぶ医者

パニック障害を起こし 不安な状態が続いて 

初めて精神科に行った時の事です。

 

何時間も待たされたあげくに 通された診察室で 

医者は 私の顔を ほとんど見ず 

パソコンとカルテに目を落としたまま 

決まり切ったような質問をあれこれしてきました。

 

そして 挙句の果てに

テニスでもしたらどうですか?

と 言ってのけたのです。

 

後ろ手に扉を締めると 

わたしは むっつりとしたまま 会計を済ませ 

病院の外へ出るなり 壁を蹴っ飛ばして

(小さく)叫びました。

 

この~! やぶ医者!!

そして 誓いました。

二度とこんな所へ来るもんか!!!

 

で その通りに なりました。 

と なると? もしかして 名医?

親子

どこまで育てるか どこで手放すか 

 

互いに すがりつきたい思いを 振り払うか

 

がんばれ !  親と子

 

 

娘の大学が決まって 引っ越しのため 

東京へ 三人で行きました。

 

トイレと風呂場が共有の安アパートですが 

同じ大学の 顔なじみの同級生もいる

という事で安心でした。

 

荷物もほとんど無いので 片付けも速く済み 

夫とわたしは 帰り支度を始めました。

 

アパートは古くて 床板がきしみました。

壁も暗い感じです。

そして なんと 寒々と雪が舞い降りてきました。

 

アパートを出て わたしたちが

角を曲がって見えなくなるまで 

半泣きで手を振っていた娘の姿を 

20年近く経った今でも 思い出します。

さなぎ

オオゴマダラの蛹

弱い間にも 力は 蓄えられている

 

 

畑仕事をしていると 

自然のすごさに圧倒されるばかりです。

 

ゴマ粒ほどの種が育って たわわに実を付けたり 

 

グアバの木を移植しようとして 

その根の深さ 張り具合に驚嘆したり。 

 

小さな虫たちが ものの見事に 

キャベツを レース飾りにしたり。

 

とりわけ 得体の知れないさなぎから 

何が出てくるかと ドキドキします。

 

強さって何だろう。

 

わたしの中学時代の友人に カッパというあだ名の 

いつも へらへらしている人がいました。

 

この人は 誰にでも 平気で話しかけるのです。

気おくれとか 恐いものとかが 無いようなのです。

 

勉強ができるわけでも 

スポーツが得意なわけでもありません。

 

でも なぜか 中学の同窓会で探してしまう。

会いたい人なのです。

ワーキング・ホリデー

社員旅行の積み立てで ツネミはカナメと一緒に 

箱根に来ていました。

 

温泉に ゆったり浸かり 色々見て回って 

土産物をちょこちょこ買ううちに 

二泊三日の予定は 

あっという間に過ぎていきました。

 

「あ~あ。明日から また現実に戻るのね」 

と カナメ。

「また ミンミとタカシとの 

 格闘の日々がはじまるわい」 

と ツネミも深い溜息。

 

その時 青い目のウエイターが 

お水を運んできました。

 

「あら! どちらから?」 

外国人と会うのは久しぶりの二人です。 

 

「オーストラリアからです」 

と ハンサムな青年。 

 

ワーキング・ホリデーで 

日本滞在していると聞き 

カナメが「働きながらって 大変ね~」 

と言うと 

「その方が ホントの日本生活 味わえるです。 

 そして とても 楽しい」という返事。

 

初々しい日本語と 爽やかな笑顔を残して 

青年が去った後 

ツネミが ふと 思いついて言いました。

 

「そうよ! 私たちも 

 ワーキング・ホリデーしに行くと

 思えばいいのよ――自分ちに!」

 

 

 

おちゃらか おちゃらか おちゃらかほい♪

ものは考えよう の ほい♪

仲良しごっこ

集まったからって 

必ずしも 絆が深まるわけじゃない

 

皆で集まらねばならぬ という 

強迫観念を 外してみる

 

 

問題が起こった時 不安に駆られて 

多くの人に 助けを求めてきたけれど

 

その結果として 問題の焦点が 

ぼけてしまったり 

うやむやになったりするだけでした。

 

人が集まれば集まるほど 

責任も曖昧になってしまいます。

 

結局 自分の腹が座ってなければ 

解決には至らないのだと思い知らされました。

 

逆に 自分で何とかしようと踏ん張っていると 

いつの間にか 

助け手が起こされてきたりするのです。

ポールウォーキング

荒馬

ポールウォーキングなるものをやってみました! 

二本のポール(杖)を使って歩くことです。

 

両手の筋力も付きますし その力を借りて 

歩行速度もだいぶ上がります。

 

まずは ポールを使ったストレッチから

始めるのですが 

 

二本を同時につかんで頭上にあげ 体側伸ばし。 

地面に突き立てて クロールのような動きで 

肩甲骨まわりを緩める。 

 

片足を後ろに引いて 太ももやアキレス腱 

足首を横倒しにしてのストレッチなどを行います。

 

その後は ひたすら歩くのですが 

ポールを使って スキップするような動きをしたり 

斜面をジャンプしたりすることもできます。

 

子どもたちが保育園時代に 

荒馬という民俗芸能を取り入れた 

運動をしていたことがありました。 

 

自分たちで作った衣装を身にまとい 

物凄いスピードで走ったかと思うと 

ピアノの音色に合わせて 

スキップしたりするのです。

 

ポールも荒馬も 

ほんの少し道具の力を借りるだけで 

運動能力も 楽しさも倍増します。

繊細さは、これからの時代の強さです

あなたは自分の長所を理解し、

犠牲者であることや

人の言いなりになる生き方をやめて、

力強い生き方を見つけられます。

 

あなたの唯一無二の感受性に対して、

自分を邪魔するものとして扱うのではなく、

それを受け入れ、育てることを学ぶのです。

 

この本で、あなたは自分の外側ではなく、

内側でガイダンスを見つけることを学びます。

そして、どのようにして

人の言いなりになる人になってしまったのか、

どのようにすれば

それを直ちにやめられるのかを見つけ出します。

 

あなたという存在のすべてが

ノーと叫んでいる時に

エスと言ってしまうのをやめる方法や、

自分を病気から守り、

癒す方法がわかるでしょう。

 

さらに、お金についても探究します。

つまり、自分のパワーを手に入れる方法として、

あなたの価値に見合うだけのお金を受け取り、

自分自身とその仕事を高く評価し、

地球上にいる他の人たちも

助けるやり方を学びます。

 

アニータ・ムアジャーニ著

「繊細さは、これからの時代の強さです」より

 

 

アニータの著書 第3弾です。

 

 

私たちが自己批判や自己不信を手放し

愛や承認を外側に求めるのをやめた時

何が起こり得るのかということを

私はじかに体験しました。

 

そして、自分のすべてを受け入れ、

自分の人生をのびのびと、恐れずに、

声を挙げて生きるということが

いかに大切かを学びました。

 

私は、自分が神の表現であり、

私たち全員がそうであることを理解しました。

臨死体験をするまでは、そのことを知らず、

自分自身を

思い切り表現することなどできませんでした。

 

そして「私には、はっきり主張したり、

自分がほしいものを要求したり、

固定観念を破ったりする資格なんてない」

といつも思っていたのです。

 

あるいは、自分の行いについて

後悔ばかりしていました。

他人のことを最優先し、

他人のほうがもっと重要で、

もっと能力があると信じていました

 

臨死体験によって、私は神の表現として、

目的を持ってここにいるのであり、

自分を表現しないのは、

この現実で神の一側面を表現することを

拒絶しているのだと理解したのです。

 

もし健全なエゴを持っていたなら、

私は自分の自尊心と

もっとよい関係を築いていたでしょう。

 

そして、健康でいることの重要性だけでなく、

他人の助けとなりたいのであれば、

自分が人生を楽しんでいることが

必要なのだと気づいていたはずです。

 

言い換えれば、私が罪悪感を抱いても、

誰の病状も軽くならないということです。

 

私が他人のためにできる最善かつ無償の行為は、

もっと助けを与えられるように、

自分自身を強くすることなのです。

 

現在の自分が知っていることを

当時知っていたなら、

私自身の健康が周囲の人たちを

元気にするとわかったので、

自分自身の気持ちを高めるために

どんなことでもしていたでしょう。

 

私はもっと休み、自分のための時間を取り、

自然とつながり、

マッサージのようなセルフケアを楽しみ、

外出して友人に会ったりしたでしょう。

 

そうすることで、

自分がベストの状態で

友人に会いに行けるからです。