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競争心

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「スポーツ番組は嫌い」と、姉が言うので、

なんでだろう、と思いました。

私の周りには、

「よっしゃー!」「イケイケ!」だのと叫んで

大興奮する人が多いからです。

 

『競争心』 という言葉が浮かびました。

その心を深く掘り下げてみようと思いました。

 

もうすぐ東京オリンピックです。

たくさんの人が競技場やテレビの前で

胸躍らせることでしょう。

だけど、私は、特定の国や選手を

過剰なまでに応援することに、

違和感を覚えることがあります。

参加することに意義がある」という言葉の通り、

各国の選手の皆さんが、

ここに至るまでどれほどの

ご苦労をなさったのかと思うからです。

競技場に立つことが

既に奇跡だという人もいるでしょう。

 

私は十年ほど、空手道場に通っていたことがあります。

「空手に先手なし」の言葉通り、

目的は自己防衛、自己鍛錬です。

ですから、形稽古を一人でも黙々とこなしていました。

 

ある日、初期の頃から一緒だった人が

辞めると言うので、理由を聞くと

「フラダンスに行くわ。そこだと笑っていられるもの」と、言いました。

あらためて周りを見回すと、

競技前でギスギスしていたり、帯色が変わって、

鼻高々になり、覚えの悪い門下生に

キツイ指導をしたり、といったことが、

自分も含めてあるように思いました。

 

しばらく故郷を離れることになり、戻った時に、

また空手をやるかどうか考えました。

中学生の時は剣道部で、

20代の頃は少し合気道をやりました。

太極拳やダンスもかじってみたのですが、

やはり自分は武道が好きなんだと思いました。 

「和の武道」と言われる合気道にしました。

 

四年ほどたった時、東京で催された合気道の全国大会で

演武賞を戴きました。

そのさい感じたことは

「やったー!」というガッツポーズものではなく、

「無事終わったー」という安堵感でした。

というのも、そのほんの二週間前に受け身の失敗で

救急搬送されていたからです。

大事に至らず出場できたのが幸いでした。

 

それに、合気道の場合は仕手(技をかける人)の動きは

受け(技を受ける人)の動きによって

大きく変わってきます。大先生ならまだしも

私のような演武者は、

受け手によって技がかけにくかったりするのです。

 

受け手がぶっ飛ぶので、

合気道は「やらせ」じゃないかと、

うがった見方をされることがあります。

合気道も武道なのですから、

本来技をかける時は一発で打ちのめす覚悟です。

しかし、それでは演武を続けることができません。

なので、受け手は技が完全にかかる前に、

保身のため受け身を取るのです。

それは、とても技術のいることです。

そのため、受けの方が仕手より上の

先輩門下生であったりします。私の場合もそうでした。

 

ですから、賞を戴いても、

自分だけの手柄とは到底思えなかったのです。

 

その後です。家族が応援に来てくれたり、

賞状もらって、あっちこっち見せているうちに、

いつのまにか「えへん虫」が

頭をもたげてはきたのは……。

 

 

子どもたちの通っていた保育園では、

運動会のかけっこで、ゴールしたすべての園児に

テープを切らせるということをしていました。

一番目の子がテープを切ると、

保母さんたちが素早くまたテープを張って

二番目の子にも切らせるのです。 

みんな一等賞!ってわけです。

 

当初、これには疑問がありました。

安易な平等意識、子どもたちには競争も

大事じゃないかと思ったからです。

 

でも、一番の子は一番偉いのでしょうか。

園児の中には障害を持つ子もいます。

 

大人の競技では「人一倍努力したから」

という言い方をする時がありますが、

ほんとにそう言い切れるでしょうか。

練習する時間をたっぷり与えられた人もいれば、

仕事や家事をこなしながら、

練習時間をやりくりせざるを得なかった人もいます。

 

色々考えていくうちに、私は、競技に参加できる、

その状態こそが幸せなんだ、

有難いことなんだと思うようになりました。

 

賞は、「おまけ」です。