歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

貼り紙

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うつ病を患っていた友人が入院したというので、

見舞いに行きました。

案内板に従って2階に上がり、

ガラス越しに 明るい日差しと行きかう人々の見える

扉のドアを開けようとすると、鍵がかかっていました。

「受付を通してください」と看護師さんに声を掛けられ

気づかずに通り過ぎた小窓を覗くと、

「用紙に記入してください」と言われました。

自分と友人の氏名、そして関係を書きました。

 

10分程待つと、

受付の窓から私を確認する友人の姿が見えました。

友人は驚き半分 嬉しさ半分といった感じで、

付いてきた職員に「友だちです」と言いました。

 

中へ入ると、

そこは広々としたオープンスペースでした。

病衣を着ている人もなく、

普段着で皆リラックスしているようでした。

 

「あなたは ここで大丈夫ね。何かあったら声かけて」

職員の方は友人にそう言うと、

私たちをオープンスペース横にいくつかある

小部屋に案内し、ドアをそっと閉めました。

テーブルを挟んで椅子が二つありました。

 

私は持ってきた珈琲入りのポットを取り出し、

菓子パンを並べました。

紙コップに注ぎながら「何がいい?」と聞くと、

友人は「外からの飲食物は、ほんとはダメなんだよね」と言いつつ、

素朴なデニッシュを選びました。

珈琲の好きな友人は、香りをかぎ、一口すすると

「はぁ~……」と、

心底安堵しきったような溜息をつきました。

「おいしい……」

「そりゃあそうでしょう。

    なんせ無農薬の生豆を一粒一粒ハンドピックして、

 丁寧に洗って、それから土鍋で……」

私は話のとっかかりを得て、自家焙煎自慢をしました。

 

ひとしきり珈琲談議に花が咲いたころ

先ほどから気になっていたことを聞きました。

 

「あの・・・何で、鍵がかかっているの?」

「自殺未遂したのよ」

「へ?!」

 

要観察入院ということで、

精神科の特別病棟にいるのだと言う。

どこへ行くにも職員が付いてきていたが、

この頃は少し自由が利くようになったらしい。

 

友人とは 以前 同じ団地に住んでいたことから知り合い、

転勤などがあって離れ離れになった後も、

年に1,2回は一緒に映画を観に行ったり

食事をしたりする仲でした。

 

医療関係の仕事で、頭が良く、

仕事もバリバリこなしていましたし、

大学時代からやっていた楽器演奏も続け、

二人の子どもも立派に巣立って、

傍目には何不自由ないように見えました。

 

異変があったのは、

お母さんの葬儀のあたりからだと言います。

結婚して家を出た二人の姉が、

葬儀の仕方や、家のこと、

財産のことなどに口をはさんできたというのです。

 

「最後までお母さんの面倒をみてきたのは私なのに……」

 

姉妹の諍いから、人間不信に陥っていた矢先、

追い打ちをかけたのは夫の浮気疑惑でした。

 

「私ね、薬をたっくさん飲んだの。

 それでね、どの薬をどれくらい飲んだかを、

 詳しく紙に書いて、寝室のドアに貼っておいたの。

 私を見て変だと思ったら、このリストを持って

 直ぐに病院に連れて行ってくださいって

 言葉を添えてね」

 

帰宅した夫は、すぐさま救急車を呼んだという。

 

事の顛末を話し終えた後、

友人は小さな花柄のバッグを見せました。

中にはお財布と携帯電話が入っていました。

 

「これ、可愛いでしょう? 

 ほら、ちゃ~んと裏地も付いているのよ。

 ここで知り合った人に教えてもらったの。

 色んな人いてさ~。

 いろんな人生があって、

 それ聞いてるとさ、なんだかさ……」

 

ノックの音がしました。

 

「あ、もう行かなきゃ。 

 これからまた、やることあるの」

 

友人の笑顔に見送られ、私は病院を後にしました。

 

友人は、死にたかったのではなくて、

生きたかったのだと思いました。

生きるために、愛を確かめたかったのだと。

 

それから一か月未満で、

友人は退院することができました。

手作業しながらのおしゃべりは、

友人の回復に大いに役立ったようでした。

 

 

                                            私は眠り夢見る

                              生きることがよろこびだったらと。

                                             私は目覚め気づく、

                                         生きることは義務だと。

                                   私は働く――すると、ごらん、

                                         義務はよろこびだった。

 

                                       タゴール(インドの詩人