歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

I love you

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「年をとって足腰が弱くなった」

という言葉をよく聞きます。

しかし私は、年をとったからというより、

歯が無くなったから

足腰が弱くなったのではないかと思います。

噛む力が衰えると、ふくらはぎの筋肉も衰える

という研究報告があるのです。

逆に、義歯を装着して噛む機能を回復したら、

寝たきり老人の

五人に1人は立てると言う先生もいます。

 

8020運動というスローガンがありますが、

80歳で20本どころか、

現実は8、9本残るかどうかです。

これでは食べ物をよく噛んで

消化吸収することも難しく、

力も何も入るものではありません。

しかも、あまり噛まなくなると

脳への血流量や刺激が少なくなり、

アルツハイマー等の認知症

なりやすいとも言われています。

 

私の叔父さんが癌で入院しました。

ハワイ出身の二世で、沖縄嫁をもらい

米軍基地で空調設備の仕事をしていましたが、

晩年は釣りなどをしながら、

夫婦二人で生活していました。

もとボクサーをしていたともいう叔父さんは、

癌と告知され、病状が悪化していっても、

年老いた妻に心配かけまいとしてか、

一人でバイクに乗り、大学病院まで通っていました。

入院することになった時も、私が見舞いに行くと

「やあ!」と元気そうに迎えてくれました。

 

ところが、その叔父さんの様子が一変しました。

「飲み込むと危ないから」という理由で、

義歯が外されたのです。

叔父さんのプライドは砕かれました。

洞穴のような口元をぽっかり開けて、

天井を向いている日が多くなりました。

顔色も悪くなり、食欲も言葉もなくなって、

急激に衰弱していくのが傍目にもわかりました。

 

「私が責任持ちますから、私がいる間は

 義歯を入れさせてください」

と看護師さんにお願いしました。

 

「叔父さん、さあ、またハンサムになろうね」

と言いつつ、義歯を入れると、

ほとんど反応しなくなっていた叔父さんが、

びっくりするようなしぐさをしました。

そして、私が帰るときに、義歯を外そうとすると、

抵抗するように口を閉ざしたのです。

 

「これはいいぞ」

私は叔母さんと顔を見合わせました。

それからも、私が行くたびに義歯を入れてあげました。

叔父さんの頬がほんのりピンク色になってきました。

口の周りの筋肉が刺激されたのでしょう。

二、三日すると言葉が出て来ました。

食欲も戻り、笑顔さえ見せてくれるようになりました。

小春日和のような幸せな日々がしばらく続きました。

残念ながら叔父さんは逝ってしまいましたが、

あのまま義歯を入れずにいたら、

確実に失っていたであろう機会を

叔母さんに与えました。

白い歯を見せて、こう言ったのです。

「Mama I love you」

これが最期の言葉となりました。