歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

噛む子

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市役所で相談

ユミさんが迎えに行くと

二歳児担当の保母さんが耳打ちしました。

 

「ワタルくんが ケンジくんを噛んでしまったんです」

 

この保育園では、

どの子が誰にどうしたというようなことは、

基本的に言わないことになっていました。

でも、誰にやられたかは

子どもの口からも伝わるでしょうし、

その子の保護者と知らずに 笑顔で挨拶されても

不愉快に思われるかもしれないので

「ちゃんと状況を把握したいし、

 必要ならば謝りたいので、

 いつでも連絡してください」

と伝えてあったからです。

 

にしても、この頃のワタルは荒れていました。

嚙んだり乱暴したりするのです。

でも、ほかの子も黙っちゃいません。

ワタルも棒で殴られたり、よく怪我をしてくるのです。

そのことに関しては、誰がやったとかの報告は

一切受けていません。

 

「ああ、また土曜日か」

ユミさんは沈痛な思いで保育園に向かいました。

引っ越してきたばかりで、三人目を授かり、

市役所の許可も得て、

この保育園に預けるようになったのですが、

土曜日に預けると もろに嫌な顔をされるのです。

「お母さん、働いてませんよね」

という言葉を何度言われたことか。

 

夫は協力的ですが、不在も多く、

産後に三人の育児は想像を絶する大変さでした。

狭い借家に子どもたちといると、

息苦しくて涙が出て来ます。

それで、土曜日も預かって貰いたいと

願い出るのですが

「土日は家族の交わりの日にした方がいいのですよ」

と体よく断られるのもしばしばでした。

その保育園は、幼稚園も経営していて、その保育環境も幼稚園並みの扱いが多かったのです。

 

土曜日保育の料金は

しっかり払っているにもかかわらず、

何度も拒否されるので、夫と共に市役所に

相談に行ったこともありました。

「これは、当然の権利なのですから、

 預けていいのですよ」と言われ、

園のほうにも指導が入り、

一応預けていいことにはなったのですが、

園との関係はどんどんこじれていきました。

そんな折、ワタルの粗暴が荒くなったのです。

 

とうとうユミさんたちは転園することにしました。

 

新しい保育園で、前園でのトラウマから

土曜日保育を願い出るのをためらっていると、

保母さんの方から声をかけてくれました。

「お母さん、とっても疲れていそうだから、

 土曜日は預けてください。

 そして、少しでも休んでくださいね」

その言葉を聞くと同時に

涙が止めどなく溢れ出しました。

 

「幼い子の噛み傷は残りませんよ。だから、大丈夫。

 子どもたちは思いをうまく伝えられないから、

 つい、噛んじゃったりするんですよね。

 だから、たくさん話しかけてください。

 そして、たくさん抱っこしてあげてください」

 

優しく、逞しい保母さんの腕に支えられ、

ユミさんも子どもたちものびのびしてきました。

 

ワタルは噛まなくなりました。

 

 

 

いい子だから、かわいがるのではありません。

かわいがるから、いい子になるのです。

                   佐々木正