歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

ミス

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ハワイ土産を持ってきた友人と、

フラダンスとウクレレの話をしているうちに

「久しぶりに歌うか!」ということになり、

三時間ほどぶっ通しで声を張り上げた。

 

いや~、気持ちよかった! 

ギターの調弦がうまくいかなかろうが、

少々音程が狂っていようが、おかまいなし! 

機嫌良く過ごせればそれでいいのだ。

 

 

「バイオリンとピアノの夕べ」

というコンサートへ行った。

ともに芸大出身の若き音楽家によるものであるが、

さて、最初に登場したのは、

見目麗しきバイオリニストであった。

 

ピンクのサテン生地の上に、

銀粉を散らしたようなオーガンジーを重ね、

襟元、袖口、そしてベルトの部分には

スパンコールが輝いていた。

 

緑の黒髪が 曲とともに肩先で揺れる。 

バイオリンに小首を傾け、

白い指は慈しむように指板を辿る。

しなやかな手首のスナップで弓を上下させ、

つられて体ごと甘美な世界に漂っているようだ。

 

隣には親子連れがいた。 

五歳くらいの女の子は、絵本の中から 

お姫様が飛び出してきたとでも思ったのか、

口をポカーンと開けたまま魅入っている。

 

しかしそれもプロコフィエフ、五つのメロディー。 

R・シュトラウスソナタ変ホ長調あたりまでで、

次第に足がブラブラしだし、落ち着かなくなった。

 

私の方はといえば、高尚な気分に浸りつつも、

バイオリンのサウンドホールのたれ目と

下ぶくれの形が「おたふく」に

見えたりしたところからすると、

女の子同様少々退屈していたのかもしれない。

 

かつて女子プロレスと大衆娯楽のたぐいしか

来なかったこの地に

「良い音楽を聴く会」を発足させ、

奔走した友人にすまないと思いつつも、

子どもをたしなめつつ 

あくびを噛み殺している母親に 同調したりした。

 

十五分の休憩後、黒のシングルスーツに 

蝶ネクタイの紳士が現れ、

楽譜無しのピアノに向かった。 

曲目はショパンの子犬のワルツ。

 

これなら知っていると言わんばかりに 

客席も再び身を入れた中、

ピアニストは ちょっと閉じたまぶたを開くと

同時に 鍵盤をたたきだした。

 

ところが、出だしの六、七小節、

左手の入る部分でつまずき、

やり直してまた失敗した。

 

彼は両手を膝に置いて、消え入るような声で

「すみません」と頭を下げた。

なじみの曲だけに、聴衆はあっけにとられたようで 

静まりかえっていた。

 

三度目は好調であったが、

アップテンポのスケルツオの部分が、

ちょうど 青信号に変わったのを知らずに

後ろの車からクラクションでせかされ、

あわてて猛スピードで走り出したようで、

静かなトリオの部分で

ホッと一息ついている感じがして、

気の毒でもあり、また面白くもあった。

 

そのまま同じくショパンのワルツ、

幻想交響曲へと続くはずが、

子犬のワルツを弾き終えると立ち上がり、

大いに照れながら深々と頭を下げた――拍手。

 

今まで、しゃちほこばった顔つきをしていた人々が、

にわかに相好をくずして善意の拍手を送り続けた。

女の子は、演奏者が「生身の人間なんだ」

とあらためて気づいたらしく、

また関心を持ち出した。

 

その後の演奏は「弘法にも筆の誤り」を思わせる 

実に見事な出来であった。

ミスを機に 客席と舞台とが親密となり、

曲ごとの拍手は、先の完璧なバイオリニストに

申し訳ないほど大きなものとなっていった。

 

演奏を終えて楽屋に向かう彼を、拍手は執拗に追った。

まるで「気にするなよ」「これからも頑張れ」

と励ますように・・・。