歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

カウント・ダウン

f:id:tamacafe:20201021080157j:plain

時計は すでに 夜の十一時を回っています。

ほぼ 話しも尽きたのに、 

二人の若い先生は 腰を上げようとしません。

 

せっかく 退職祝いをしてくれているのに 

当の本人から 帰るとも言えず ハツコは 

今日までの同僚が あらたに ビールを注文する姿を 

うらめしく思ったりもしました。

『ああ、 もう こんなに遅いのに。この娘たちには 

 時間の観念ってものがないのかしら』

 

「そろそろ帰りましょうか」と言う声がやっと出て、

ハツコが席を立とうとすると、

サキエ先生が 急に思い出した様子で 

 

「あ! 大事なもの学校に忘れちゃった!」

と叫びました。

そうして ハツコに腕を絡めると

「ハツコせんせ~ お願い! 私お酒飲んじゃったし、

 車持てないから 学校まで 乗せてってください」 

と言うのです。

 

「えー! こんな夜中に? 明日にしなさいよ」

「明日じゃ ダメなんですぅ。 ね、お願い!」

少々ムッとしながら 車へ向かうと 

もう一人のサヨリ先生も 

ひょっこり 乗り込んできました。

『ったく! なんっちゅう娘たちじゃ』 

 

「はい。 着いたわよ。 取りに行ってらっしゃい」 

と言うと、

「せんせ~も 一緒に来てくださ~い。 

 だって、せんせ~ 今日で 

 大原小学校最後なんだし」

「そうですね。 行きましょ 行きましょ 

 肝試しのつもりで 学校一回り~」 

と二人が手を引っ張ります。

「わかった。 わかった! 行くから、もうー」

 

月明かりの中を 校舎へ向かう。 

三十年通ってきた様々な小学校。見慣れた校舎風景。

家に居るより長かった気がします。 

その家にさえ 忙しすぎて 仕事を持ち帰った日々。

「学校と家庭とどっちが大事なんだ!」 

と 夫に 怒鳴られたこともありました。

 

そんな ハツコを支えてきたのは 

子どもたちの 笑顔でした。 

困難な家庭環境の中で 必死に生きようとしている 

子どもたちの姿でした。

 

『私のクラスからは 決して落ちこぼれを出さない。 

いじめっ子も いじめられっ子も 出さない』

そんな思いでやってきました。  

そのバトンを 今 若い先生方に渡そうとしています。

 

『大丈夫かしら。 この先生たち 

 ちゃんと子どもたちの面倒見れるのかしら』

 

非常灯を頼りに 

ふらふらと目の前を行く二人を見ながら 

どうにも 心許ない気がしました。

 

辿り着いた職員室は 真っ暗でした。

「ちょっと 待ってくださいよ~。   

 え~っと、 スイッチは とーー 」

サキエ先生が 妙にデカい声を出しながら 

スイッチをパチリ! と押しました。

すると 突然「ハツコ先生 退職おめでとう!!

 

テーブルの下に隠れていた職員が 

びっくり箱のように 飛び出して 大騒ぎ!  

部屋一杯の 飾り付け。   

それを見ながら 

ただ ただ 目を丸くしている ハツコ。

「あ、 もう すぐだよ! 

 みんな スタンバイして! 」

まもなく 今日が終わる。   

時計の秒針を見ながら 教員生活最後の 

カウント・ダウンが始まりました。

 

「10! 9! 8! 7! 6! 

  5! 4! 3! 2! 1! 」

 

パン パン パ パン パーン!   

一斉に 弾けるクラッカー。

再び「おめでとう!」 そして 

「お疲れ様でした!」 

皆が駆け寄り アルバムやら 

寄せ書きなどのプレゼントを手渡しました。

 

『この頃 様子が変だと思っていたら・・・・・

 私に隠れて これを作ってたのね 』

酔っているから乗せてと言った サキエ先生も 

すっかり しらふで ニコニコ ハツコを見ています。

「こいつ~ はめたな~」と げんこの真似をしたら 

ひょこっと首をすくめました。

 

「あ、 ハツコ先生 泣いてる~」 

「ハツコ先生が泣くの 初めて見た」

「うるさい!」 と言い返しながら、 

頬を伝うものは止めようがありません。

腕一杯のプレゼントと 胸一杯の感謝を持って 

ハツコは深々と 頭を下げました。  

 

ありがとう皆さん。 ありがとう 大切な仲間たち。 

お世話になりました。 

心優しいあなたたちに 私のバトンを渡します。 

どうか 子どもたちを よろしくお願い致します。