歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

「完璧さ」より良いもの

生きていると、いろいろな人に、

いろいろなことに、教えられます。

たとえば、デヴィッドがそうでした。

かれは画家で、わたしの最初の恋人でした。

性格が正反対の者同士が惹かれあうというのは、

ほんとうです。

 

あるとき、

わたしの運転免許証の更新の時期がきて、

筆記試験を受けることになりました。

陸運局から教科書がとどきました。

何日も勉強しました。

 

道路の縁石が白く塗ってある場合と、

黄色い場合のちがいを暗記していると、

デヴィッドは散歩に行かないか、

ディナーは、ダンスは?

お喋りするだけでもいいや、と誘いました。

そんな暇はないのよ、とわたしは答えました。

 

試験はもちろん百点でした。

得意になって、

わたしはかれのアトリエに駆け込み、

百点とったわよ、と告げました。

描きかけの絵から顔をあげて、

とてもやさしい表情で、

「きみねえ」とかれはいいました。

 

百点をとることが、なぜすばらしいんだい?

 

それはわたしが期待していた反応ではなかった。

そこでわたしにはわかったのです。

ただパスすればいいだけの試験で

百点をとろうとして、

どれほど多くのことを犠牲にしてしまったか。

もっと賢くつかうことのできた何日も、

勉強に費やしてしまった。

知りたくもないことまで暗記して。

それが唯一の方法だと思いこんでいたからです。

 

百点をとらなければ

父に満足してもらえないのなら、

わたしも自分に満足できないのでした。

たかが運転免許証をとるための、

筆記試験のために。

 

依存症患者の多くがそうであるように、

わたしも抑制がきかなくなっていたのです。

あきらかに、問題は

運転免許証そのものではありませんでした。

点数が問題だったわけでもないのです。

 

わたしがだれかの「愛」にあたいするかどうか

それが問題だったのです。

 

デヴィッドがそんなゲームのしかたを

知らなかったことは幸いでした。

かれはそんなゲームが

この世にあることすら知らない人でした。

 

レイチェル・ナオミ・リーメン著

「失われた物語を求めて」より

 

 

レイチェルは1938年 

ニューヨーク生まれの医学博士です。

15歳のときクローン病を患い 

厳しい闘病生活を送りつつも 

癌患者・癌専門医のセラピストとして

先駆的な道を切り拓いてきました。

 

心と体の深いつながりや

奇跡のちりばめられた 彼女の本が 

あまりにも素晴らしいので 

沢山の人に勧め プレゼントしては 

また買って 今 手元に一冊のみ残っています。