歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

ただ友のため

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私はかつてパニック症状に苦しんだことがあります。

運転中に突然心臓がバクバクし、冷や汗が出、

身の危険を感じて、車を路肩に停めました。

もともと運転は好きな方ではなかったので、

バスやタクシーを利用しましたが、

それ以来、仕事以外で出るのがおっくうになり、

やがては人に会うのもめんどくさいと

思うようになっていきました。

 

そんなある日、

他県から友だちのシュウがやってきました。

久しぶりの対面に 

勇気をふりしぼって空港まで迎えに行きましたが、

その後の三日間は、運転好きの彼女が

やってくれるものと期待していました。

なぜなら、

私の状態はいつもメールで知らせていたからです。

 

ところが、鍵を渡そうとすると 

「わいは免許証持ってきとらん」と言うのです。

「うっそでしょ!」

 

どんなに抵抗しようが後の祭り。

平気な顔で助手席に乗り込んだシュウを 

うらめしそうに見ながら、

その横でガクガクしながらハンドルを握っていました。

 

しかも彼女はエネルギーの固まりみたいな人で、

ここかと思えば またあちら、

地元の私でさえ行ったこともない所へ 

どんどんリクエストしてくるのです。

あげくの果てには、まともな時でも乗らない

高速を使って行こうと言い出す始末。

 

「ちょっと、そりゃーいくらなんでも勘弁してよ」

「だ~いじょうぶや。 まっすぐ走るだけやんか。 

ほれ、はよ行かんか!」

 

なんて奴だ、もうどうなっても知らんぞ!

 

やぶれかぶれで乗ったものの、

やはり怖くて冷や汗が出てきました。

車線変更もままなりません。

そのとき、すっと横から手が伸びて、

シュウがハンドルを握りました。

「大丈夫や。 ちゃ~んと見とるからな」

そう言うと、サイドミラーを見ながら、

教習所の先生さながら 

うまく誘導してくれたのです。

 

なんとか無事に高速道路を降りた後も、

混んでる街中で、私が立ち往生すると

シュウの手が支えてくれました。

 

そうこうするうちに、

私にもだいぶ自信がついてきました。

行く先々を楽しむ余裕も出てきました。

 

明日は帰るという日、シュウととる最後の晩餐で、

私は久しぶりに とても寛いだ気分でした。

隣の人が飲んでいるのを見て、

「あ~、ビールうまそ~」と言うと、

シュウは 「飲むか?」と言うのです。

「え? だって、誰が運転すんのよ」

「わい」 シュウはお酒を飲まないのです。

「だって、免許証持ってないんでしょ?」

「・・・・そ、そんなもん。 

捕まっても切符切ればすむがな」

 

そのとき、すべてがわかりました。

 

「いい人」と思われたい「いい人」がいます。

自分が他人にどう見られるかが基準なのです。

そんな人は、本当に困った時、

アピール性の無い所では、消えてしまいます。

 

一方で、たとえ自分が嫌われようが、

ただ友のためを思って行動する人がいます。

私はシュウのことを「なんてわがままな奴だ」 

と思っていましたが、

今にしてみれば、

パニック症状を起こすかもしれない

人間の車に同乗するというのは、

命がけのことなのです。

カウンセラーでもある彼女は、

私の状態をよく見極めて、

強硬手段に出てくれたのでしょう。

 

見送りの空港で、

シュウは両手で私の手をギュッと握りしめ

「がんばれ」

と言い残して、さわやかに帰っていきました。