歌う珈琲屋さん

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聖書の言葉

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今月から しばらく 週一程度で 

聖書の言葉を 入れていきたいと思います。

 

中学生の時 三浦綾子さんの「塩狩峠」を読んで

衝撃を受け 以来 何十年も

教会に通うようになりました。 が 現在は

どこにも どの宗派にも 属していません。

 

クリスチャンという言葉は 元来 

クライスト・ア・ライクから来たもので 

キリストに似た者 キリストに倣う者という

意味があったようです。

特定の教会の信徒を指したものではありません。

 

それからすれば わたしは イエスキリストが

今でも好きで 彼のように 通り過ぎたとき 

良き香りを放つような存在でいたいと

願っていますので 

クリスチャンと言えるのかもしれません。

 

ただ 聖書自体が 数回のバチカン公会議等を経て 

教会や時の権力の都合のいいように改ざん 

あるいは 翻訳された可能性が指摘されており 

 

その象徴であるかのような「父なる神」

白い髭を生やした偉そうなおっちゃん 

のイメージについて行けなくなったのです。

 

とは言え 聖書の言葉は 宝石箱のように珠玉です。

この聖書を あらためて原語から紐解き 

翻訳をし続けている方がいらっしゃいます。

 

本田哲郎さんです。

彼は上智大学を卒業し フランシスコ会に入り 

司祭叙階。ローマ教皇庁立聖書研究所卒業。

 

1975年より大阪釜ヶ崎にて日雇い労働者に

学びつつ聖書を読み直し 実体験に基づく 

個人訳の「小さくされた人々のための福音」

パウロの書簡」などを出していらっしゃいます。

この人の翻訳は 特に心に響きます。

 

わたしたち 一人一人が かけがえのない

唯一無二の存在であるならば 聖書の言葉も 

一人一人響く箇所や意味が 

違っていても良いのではないかと思っています。

 

特定の教師の解釈を有難く頂く必要もなく 

今 わたしの心に届いたメッセージとして

捉えなおしてもいいかもしれません。

という事で わたしの御言葉鑑賞です。 

 

初回の今日は 箴言の3章6節から

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。

 そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる

 

迷った時 わたしはこの言葉を思い浮かべます。

自分の足元だけ見つめ 自分の事しか

考えられなくなってしまっていないかと問うのです。

 

宇宙から見た自分 美しい地球に住む 

ちっぽけなわたし。

それを 見守る 大いなる存在を描く時 

 

面を上げて 全体の中の自分はどうあるべきかに

思いを巡らせる事ができるような気がします。