歌う珈琲屋さん

クラシック歌曲・オーガニック珈琲

「でも」はいらないかも

行ってきま~す!

近々 屋久島トレッキングで

20km歩かなきゃならないので

「体力を付けたい。 

 膝にくるので 体重も落としたい」

という知人がいて 筋力は落とさずに 

脂肪だけを落とすダイエットの本を 

持って行きました。

 

トレッキングシューズも

持ってないとのことだったので 

ブログ仲間のお勧めのシューズを

書いたメモを渡そうとしました。

 

すると サッと 

バリアを張られるのが感じられました。

 

返さなきゃならないという

面倒をかけないために

「内容はもう頭に入っているから 

 良かったら 貰っちゃってもいいよ」

と言うと「いや わたしは 読むの速いから」

と即答。

 

トレッキングシューズの話をしようとすると

「どうせ しょっちゅう履かないから 

 トーエイで買った安いものでいいよ」

というので

「でも このシューズはしっかりしていながら 

 普段使いにもできるおしゃれなもので 

 結構 いい買い物だと思うよ」

と付け加えました。

 

「ありがとう」と

本もメモも受け取ってはいましたが 

わたしの中には 

なんとなく 面白くない気持ちが残りました。

 

この気持ちには 覚えがあります。

クリスチャンスクールで

宣教師のお手伝いをしていた時に

「日本人向けの分かりやすい聖書の解説本を

 紹介してあげてほしい」と頼まれ 

それを準備して 

英語を習いに来た生徒に渡そうとすると 

明らかに嫌そうな顔をされたのです。

 

「でも これは先生が・・・・」と

依頼されたことを伝えたのですが 

拒否されました。

 

わたし自身も 畳みかけられると 

よく考えもせずに 「嫌だ」と

反応してしまうことがあります。

 

人に操作されそうになったり 

圧迫を受けたりするのが嫌なのです。

 

また プライドの高い人も 

その傾向が強いのかもしれません。

 

「あんたになんか 教えられたくないよ」

みたいな態度を取ってしまうのでしょう。

 

結局 本とシューズの人は 

わたしの前では渋々受け取っていながら 

どちらもたいそう気に入って 後で 

お礼の手作り味噌を頂きました。

 

生徒さんの方は 英語さえ習えば

聖書のことなど知りたくもなかったのでしょう、

そのうちに来なくなりました。

 

わたしの親切心は消せないので これからも 

ちょっとお節介するかもしれませんが 

ぱっと出して ぱっと引く。

 

「でも」と押すのは やめよっかな~と思います。